北鮮を追われて     其の一

その頃私は両親と3人で北朝鮮平壌に住んでいました。終戦も間近かな或る日班長さんが

回覧板を持って慌しく駆け込んで≪ソ聯が侵攻して来たので満鉄の人達が避難してくるから

お宅も一人受け入れて下さい≫との事。いよいよお出でなすったか。

でも満州には百万の関東軍が控えているから何れは蹴散らされて家に帰れるだろうと

大した緊迫感も有りませんでした。 2〜3日すると女子供とお年寄の一団がどっと訪れ

ました。 女の人は大きなリュックを背負い皆2〜3人の子供を引き連れていました。

我が家にも満鉄の医師だという60年配の男の人を預かりました。如何にも医師らしい

物静かな品のある方でした。今では顔も思い出せずどんな話をしたか殆ど覚えていませんが

唯一つ ≪古代音楽は琴と鈴からなっていたと言う伝承から私の名前は真琴、弟は真鈴≫

と言われたのと終戦の陛下の詔勅を聞いて膝を掴んで泣いていた事だけは今も鮮明に覚えて

います。  それから程なく一度満州に帰って正式に引き揚げることになったから、と全員

慌しく引き揚げてゆきましたがひょっとして彼等は死地に帰って行ったのではないでしょうか