2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

北鮮を追われて      其の六

ほっとしたのも束の間、表で女のけたたましい叫び声と、ばたばたと人の走る足音。やがて静かになるとそっと顔をのぞかせたこの家のオモニーが何やら金さんに囁くと滅多に動揺をしない金さんが「出ましょう」と一言、取る物も取敢えず裏の煙草畑に逃げ込みま…

北鮮を追われて     其の五

人影一つ無い街中を物陰に身を潜めながら何とか無事通り抜け、やっと人家も疎らな農道を急いでいると、背丈ほどに伸びた煙草畑の間から一人の男が現れ ≪日本人だろう?一寸来い≫ と藁葺きの家の方に3人共引っ張って行かれました。金さんが何やら朝鮮語で暫く…

{独り言}引っ掛けようとして引っ掛かった男の子

古い話です。私が未だ高齢者と呼ばれる以前の夏の暑い日、かなり派手なムームー風のワンピースに鍔の広い日よけ帽、サングラスといういでたちで歩いていると道端に停まっていた赤いスポーツカーから「今日は」の声、他人事だと思って通り過ぎようとすると再…

{カリフォルニア}この子恐るべし

これもアメリカ滞在中のお話 かなり晩婚だった私の友人は早々と子供を諦め夫の母国であるバングラデッシュの修道院から生後間もない女の子を養子として迎えました。私が初めて会ったのは三歳ぐらいの時でしたかしら、人種としてはモンゴリアンの山岳少数民族…

北鮮を追われて      其の四

幸いなことに家から大通り一つ挟んだ向かい、前に軍司令部のあった跡がゲーベーウーの司令部になりました。ゲーベーウーとはアメリカのMPと同じで兵隊にとっては鬼より怖い存在です。ソ連にもそれなりの軍規があるらしく、犯行現場を見付けられると有無を言…

北鮮を追われて      其の三

車が自由に使える時代ではなし、汽車は止まったまま、国からの指示は皆無。38度線が封鎖された事など知る由も無い我々は、其の内に帰国命令が出て引き揚げ列車も動くようになるだろうと未だに頼りにならない政府を信じ切っていました。程なく大挙して押し寄…

北鮮を追われて     其の二

満州から疎開して来た人々が引き揚げてから5日も経たない内に朝鮮人の若者が中心になって保安隊なるものを組織し旧日本軍の銃を構えて街をのし歩くようになりました。土足で日本人の家に上がりこんでは ≪日本人は朝鮮から出てゆけ。我々から搾取した物をす…

{独り言}笑顔千両

終点であり始発駅でもあるホームに滑り込んだ電車からどっと人が溢れ出て、空っぽになった車内に又どやどやと人が乗り込みました。ふと見ると隅っこで眠りこけている男性が一人。薄汚れた作業服に草臥れたスニーカー。何処かの工事現場で働いた帰りの様です…