北鮮を追われて 其の五
人影一つ無い街中を物陰に身を潜めながら何とか無事通り抜け、やっと人家も疎らな農道
を急いでいると、背丈ほどに伸びた煙草畑の間から一人の男が現れ ≪日本人だろう?
一寸来い≫ と藁葺きの家の方に3人共引っ張って行かれました。金さんが何やら朝鮮語
で暫く喋っていましたが、少し穏やかな口調で ≪お前達日本に帰るなら日本のお金が
必要だろう私はもう使えない日本の紙幣を持っているので朝鮮銀行券と交換して
くれないか≫ 確か30円位いだったと思いますがそれ以上は強要されることもなく、
其の上親切にも≪この先にソ連兵の検問があるかもしれないから朝鮮服を着ていた方が良
いだろう≫ この頃になると何事だろうと集まっていた家族の一人が家の中から可也草臥
れた女物の朝鮮服を二着持ってきました。そこで着て来た衣類を脱ぎ捨て母は髪型も朝鮮
の既婚者風に結い直し、朝鮮人になりすまし第二の門出です。
ここでは紙幣の交換を頼まれただけで何一つ危険を感じた事はありませんでした。
日本でも朝鮮でも農村の人は純朴です。 それからは金さんの下見通り路線バスよろしく
通っている闇トラックを乗り継いで、電気も無い山の中の民家のオンドルで第一夜を
迎えました。