北鮮を追われて      其の六

ほっとしたのも束の間、表で女のけたたましい叫び声と、ばたばたと人の走る足音。

やがて静かになるとそっと顔をのぞかせたこの家のオモニーが何やら金さんに囁くと

滅多に動揺をしない金さんが「出ましょう」と一言、取る物も取敢えず裏の煙草畑に

逃げ込みました。後で聞いた話によると、≪満州からの難民に混じって来た一部の無法者

が保安隊を自称して日本人を掴まえては略奪をするので私達も迷惑している。今も探しに

来たのでたった今日本人らしい人達が山の方に行ったと言って追っ払ったけどここに

居てはお互いに危険だからもっと先の部落で泊まったほうが良い≫と有り合せの食べ物

を持たしてくれました。

それからは街道を避けて月明かりを頼りにひたすら農道を辿りました。

ここが何処なのかどっちを向いて歩いているのかも分らぬままただただ金さんを信じて

付いて行きました。其の道すがら唯一つ覚えて居る事は長い鉄橋を歩いて渡った事。

勿論街道を行けば人道橋はあるのでしょうけど、夜の夜中にソ連兵の警護する橋を渡る

なんてみすみす殺されに行く様なものです。汽車は多分通ってはいないだろうとは思う

ものの、枕木の間から月明かりにきらきら光る水面までの高さを思うとあの極限の状態

だったからこそ第一歩が踏み出せたのだと思います。この頃になると精神的にも肉体的

にもストレスは頂点に達し其の晩は何処で寝たか思い出せませんが野宿しなかった事だけ

は確かです。九月終わり頃の朝鮮の夜は可也冷えますから。