北鮮を追われて     其の二

満州から疎開して来た人々が引き揚げてから5日も経たない内に朝鮮人の若者が中心にな

って保安隊なるものを組織し旧日本軍の銃を構えて街をのし歩くようになりました。

土足で日本人の家に上がりこんでは ≪日本人は朝鮮から出てゆけ。我々から搾取した物

をすべて置いて裸で出てゆけ≫ と強要する様になりました。幸い我が家は父を慕ってい

朝鮮人の社員3人が交代で詰めて彼等を追い払ってくれました。それと言うのも父は

全く人種偏見の無い人でへまをすれば日本人、朝鮮人の区別なく大声で怒鳴りつけるし、

能力のある者は朝鮮人でもどんどん取り立てていたので、親父さんは公平な人だと朝鮮人

の間で人気が有ったようです。3人の内2人は所謂ヤンバン(金持ち)の息子で内地の大学

を出ていました。最後まで残って私達をソウルまで送ってくれた人は大分苦労をして商業

学校を出たようです。ヤンバンの2人が脱落したのは土地の名家だけに親族から日本人の

用心棒なんかするなと圧力でもかけられたのでしょう。最後の一人は非常に珍しい名前で

したが、ここでは仮に金さんとしておきましょう。

或る日、金さんは安全に京城まで行けるルートを探してくるからと、一人で出掛けてゆき

ました。この頃は一時の狂乱も収まりソ連軍が進駐するまでの束の間の平穏な時期

でした。