北鮮を追われて       其の七

この日は平壌を発ってから一番の強行軍でした。思い出すのは未だ明けやらぬ畑の中に

いたこどです。さすがに人影も無いので歩きにくい煙草畑を出て農道を急いでいると左

側の土手の上に薄らと銃を構えたソ連兵士の姿が。慌てて丈の低い作物の間に身を伏せ

ました。かなりの距離があるので気配で見つけられる心配はなさそうです。暫く見てい

ると右に行く時は河の方、左に行く時は畑の方、決して左右を見ることはありません。

上官の命令かスラブ民族の愚直さか? 明るくなれば丸見えになるので意を決して兵士

が向こうを警戒している間を縫って這いながら丈の高い煙草畑に逃げ込みました。

これがソ連兵を見た最後でした。明るくなってから金さんは街道に出ました。

もう国境に近いらしく一種の緩衝地帯になっているのでしょう兵士の姿も無く自称保安

隊も影を潜め、広い街道を、頭にブリキの盥を載せたオモニーやチゲを背負ったアボジ

がのんびり歩いていたりで先刻までの出来事は夢だったのかと半信半疑の思いで道を急

いでいると前を歩いていた父が二人の男の人に挟まれて何やら話しています。

その内戻ってきた二人が今度は金さんと長いこと話していましたが何事も無く離れて行

きました。後で聞いた所によるとあの二人は特設の刑事で戦犯と目されている日本人の

脱出を阻止する為に歩いているのだそうです。こんな事もあろうかと前々から打ち合せ

が出来ていました。≪同行の日本人は商業学校の校長。金さんはそこの生徒だった頃父

を亡くして学業が続けられなくなった時に援助の手を差し伸べてくれて無事卒業できた

大恩のある人なのでソウルまで送って行くところだ≫と。別々に聞いた二人の話が合致

したので見逃してくれたようです。