北鮮を追われて       其の八

男狩が始まった頃軍需要員として残っていた主人の居る家族の間で折々に北鮮脱出の計画

がもち上がりました。中に電気屋さんがいて ≪高圧線はなるたけ人家から遠い所を

通っているがどんな山の中でもその下には見回りの為の道が付けられているから、それを

南に辿れば38度線は超えられる筈≫ と自信たっぷりだったそうですが、12〜3人の集団

では皆殺しに逢う危険があるけどこうして街中で何万人かで固まっていればいくらソ連

も全員を河に捨てるわけにもゆかないだろう。それに無一文で日本に帰った所で乞食にな

るのがおちだ。で沙汰止み。結局長年に渡って営々として築いた財産が棄てられなかった

のでしょう。

私達の脱出行の間にも時々遠くの山の上に高圧鉄塔が建っているのが望めました。あの人

達も思い直してあの下を歩いて逃げて来ればよいのにと何度思ったことでしょう。

昼を少し回った頃一寸した部落の入り口にある墓場に着きました。朝鮮の墓は其の頃は総

て土葬で墓標も無く只土を盛り上げただけの土饅頭でした。其の陰に私達を待たして金さ

んは何処かに行ってしまいましたがかなり待っていると中年の朝鮮人を一人連れて帰って

きました。後で聞いた話ではこの人は満州で働かされていた農民のリーダー。その難民列

車に私達を乗せてくれる様に頼んだ所、皆気がたっているので日本人と判るのは具合が悪

いからと首実検に来たそうですが皆朝鮮人に変装しているので、これなら大丈夫だろうと

部落の反対側の、駅舎もホームも無い野原の真ん中に止まっていた客車に這い上がりまし

た。中は思ったほどギュー詰めではなく何とか通路に座ることが出来ましたが話し掛けら

れると困るのでさも疲れた様子で眠った振りをしていました。その内に連日の疲れで本当

に眠ってしまいました。どの位い走ったのでしょうか父に肩を叩かれて目覚めると汽車が

止まっています。例のリーダーが目顔で下りる様に合図しているので朝鮮語でありがとう

と言って又野原の真ん中で下ろされました。

この難民達は皆が南鮮まで帰る訳ではなく北鮮のあちこちの部落に帰って行ったようで汽

車が余り空いて身元がばれると危ないので終点ではない所だけれど降ろしたのでしょう。