北鮮を追われて   其の十



一夜を温かい人の情けにどっぷりと浸かって過ごしたあくる朝救い主の青年に送られて再

び昨日の驛に戻りました。昨日と違って見送り人でごったがえしているのを幸いに人込み

に紛れて無事車中の人となることが出来ました。尤も改札口を抜ける時駅員がちらと顔を

眺めたので思わず目を逸らしたけど、金さんの従兄弟の口ぞえの効果か虎口を逃れること

が出来ました。見送りの青年はデッキに立った私にさも親しそうな笑顔を向けて何やら

朝鮮語で喋りながら弁当らしい包みを手渡してくれましたが何を言ってるのかさっぱり判

らぬまま芝居に合わせてにこにこ頷きながら出発を待ちました。 金さんは殊更声高に如

何にも親しい人が別れを惜しんでいる態。 こんな時節なので差し迫った用事でもない限

り旅する人も無いとみえて、見送り人の割には車内はゆったりしていました。ここらは一

種の中立地帯らしく、ソ連兵も米兵も全く姿を見せず朝鮮人が組織した自称保安隊が総て

の権限を握っている様でした。  ひとまず生命の危険からは開放されたと、束の間の安

息を楽しむ間もなく又もや原野の真ん中で全員が降ろされてしまいました。他の乗客達は

予期していた様に平然と遠くに見える民家の家並みを目指して歩き始めたので我々もその

後に暫く附いてから皆をやりすごして集落を避け農道をひたすら南へ辿りました。いくつ

かの人家を通り越し小半日も歩いた所で河に行く手を阻まれてしまいました。

金さんは下見の時に通った道らしく自信有り気に土手を降りて行きます。この河は歩いて

渡れるの?それとも泳ぐの? と色々思いを巡らせている目の前に現れたのは、5〜6人

は乗れそうな手漕ぎの船を5艘、縦に繋ぎ合わせた仮設の橋。金さんが幾許かのお金を払

ってふらふらと安定の悪い船を乗り越え乗り越え無事対岸に渡りました。