私の故郷

「おくには?」と聞かれてパット頭に浮かぶのは何年かに一度先祖祭りの為に訪れる北九州でもなければ戦後60余年を過ごした関西でもない。薄絹を張ったように澄み切った青空、藁葺きの屋根に干された真っ赤な唐辛子。それはソウル。今までの長い人生に比べればほんの一部分でしかない10余年、一番多感な思春期を過ごし果ては、石もて追わるる如く去らなければならなかった懐かしい私のふるさと。6月ともなれば校庭に植えられたアカシアやライラックの香りが窓から忍び込み退屈な公民や教育の講義の声が遠くなったり近くなったり。土饅頭式の朝鮮のお墓の周りには亡き人を弔う様にすみれが香り、おきな草の深紅の花びらがそよぐ。夏休みにはひっそりとした校庭でバスケットの練習に汗を流す。秋ともなれば韓国人の子供が自分達で採った薫り高い松茸を小遣い稼ぎに売りに来るし学校行事の遠足では町を取り囲むように聳える山々を巡り土産の初茸を抱えて足を引きずりながらの帰宅、冬はテニスコートに水を撒いて凍らせただけのスケートリンクで滑る。町の近くを流れる大きな河が厚い氷に閉ざされたら全校挙げてのスケート大会が催される事は前に一度書きましたけど。オンドルの心地よさ、ストーブのぬくもり、夜が更けると道一つ隔てた兵舎から聞こえる物悲しい消灯ラッパ。どれ一つ採っても涙が出るほど懐かしい。
でも戦後ソウルを訪なったクラスメートの忠告に曰く、ソウルには行かない方が良い、行けば残るのは幻滅だけ、貴女の胸の中に残っているソウルが最高。で、忠告に従ってソウルには一度も行きません。お蔭で私の頭の中にはあの懐かしいソウルが死ぬまでいき続ける事でしょう。