祖母の山小屋で逢った鉱夫

昭和30年前半の初秋の頃だったと思います。「祖母山に行かないか」との声が掛かりました。

2ヶ月程前、従兄弟に連れられて生まれて初めて遠足の山登りでない本式の登山を始めたばかりなのにたった一度で山の魅力の虜になり寝ても覚めても山、やま、ヤマ、の状態だったので飛びつきました。行程はさて置き話は祖母山頂の山小屋での事です。其の頃のことです小屋はただ屋根と壁と床を提供してくれるだけ、食事は銘銘で作るか携帯食。さて食事も終わり明日に備えてぼつぼつ寝ようかと、寝袋を広げかけた頃、がたがたと戸を開けて中年の男の人が二人入って来ました。私は最初この山小屋の人かと思いました。なっぱ服にゲートル巻き、足元は地下足袋。ドンゴロスの袋を背負い、やかんを提げた姿はどう見ても登山者には見えません。途中で何か事故が有ったらしく一方の人が、遅くなった事をしきりに詫びで居ました。余り気になったので思わず声を掛けました≪おじさん達何処から登ってきたの?≫≪わし等はこの下の尾平鉱山で働いているがいつもいつも暗い穴の中ばかりなので一体この上はどんな所だろうと、見に来たんだ、さて、ぼつぼつ寝るとしょうか。≫とおもむろにズダ袋から大きなセメント袋?を引っ張り出すと其の中にごそごそと下半身を入れごろりと横になると上着を被って寝てしまいました。 何という逞しさ、流石戦後の日本を暗い地底で黙々と支えてきた人達です。其の頃は、やっと食料が潤沢に出回り始めたばかりでレジャー用品にまでは手が回らず私達にしても、寝袋、ポンチョ、ラジュース、総て米軍放出の中古品、やっとビブラム底が流行り始めたばかりで、常に装備の貧困を嘆いていた我が身に引き比べて恥じ入りました。
どんな装備でも登れば山は其処にある。