名前の由来

XX豊野 姓だけでも20画もある下の名前がこれ。小学校低学年の頃この字画の多い姓名に
どんなに親を恨んだことでしょう。私も小山ハルさんだの田中正子さんの様に簡単な名前なら
もっとゆっくっり検算もでき若しかしたら100点が貰えたかも知れないのにと、テストの度
に名前を書く時間を惜しんだものです。でも齢を重ねた今は由緒ありげで雅号とも思える名前も段々身に着いてきた様で気に入ってます。時々病院などで姓と名を取り違えて豊野さんと呼ばれ<はて?この先生はフアースとネームで呼ばれる程親しい先生だったかな?>と悩むことがあります。この子供泣かせの名付親は私の大伯父で親族きってのインテリ。遥か遠い明治の頃九州の片田舎から笈を負うて東京に遊学。蔵前高等工業学校の第一回生に。子供の無かった大伯父は可愛い甥っ子の頼みに張り切って、代々豊前小倉の藩士だったので一字頂いて豊。
母方の徳島は女の子には の を付ける風習らしく母の姉妹も ヤエノ、ツヤノ、トノエ、
私は上の字に負けないように漢字の野。名は体を現す。理詰めで名前を付けたお陰で諺通り理屈っぽい扱いにくい婆になりました。

花まつり

4月に入ると間も無く食堂の入り口に <4月8日は花祭りの特別メニューです>の掲示。へぇー、今でも花まつりのお祝いをする所があるんだ。と思いは80余年前の花まつりに一足飛び。その頃私は東京も郡部に近い蒲田に住んでいました。
例年花まつりの日にはあちこちの街角に綺麗な花に飾られた小さなお堂の中に天と地を指差したお釈迦様の像が建てられ.子供達は競ってその頭から甘茶を掛けお下がりのお菓子を貰って嬉々として家路に就いたものです。以来父の転勤により其の地を離れてからは、一度も花まつりの行事にはお目に懸かっていません。キリスト様のお誕生日は世界中でお祝いをするのにお釈迦様のお誕生日は仏教信者の多い日本ですらひっそりと迎えるなんて。クリスマスと違って商業ベースにのりにくいから?? 

思い付くまま

以前にも書いたように転勤族の娘に生まれた宿命と諦め、あこがれ続けたお雛様。結婚もしな

かったので初孫にかこつけて買う事も出来ないまま90を過ぎてご厄介になった愛の里の初め

て迎えた雛祭り。館内のあちこちに溢れる雛飾りに目を見張り、用も無いのにふらふらと出

歩いては飽かず眺めていました。流石に2回目ともなると通りすがりに足を止める程度になり

ましたがそうなると気になるのが雛御膳。去年はお雛様に気を取られて何を食べたか殆ど覚え

ていませんが今年は早くから特別献立の予告がありましたのでわくわくしながら待って居まし

た。当日の料理はご覧の通り。当に豪華。食べないで雛壇に飾って置きたい程です。

最後によそって回ったのが生きた しらうお 流石に小鉢の中を泳ぎ回る しらうお はご遠

慮申し上げましたが好きな方は大喜びでした。

下戸の人達の白酒をかき集めて陶然となった楽しい楽しい雛祭りでした。





  

しゃべりたがり

アメリカの友人宅にビザの期限一杯三ヶ月滞在する事4〜5回。友人は日系二世で言葉に不自由は無いが』訪れる友は殆どは白人。遠来の客人をもてなそうと、色々話しかけるが、殆ど通じない。それでも、えらいもので4回目の訪米辺りから話題だけは判るようになった。でもそれが最後。いくら頑張っても米寿を過ぎた老女<本人は自覚していない>が1人でアメリカへ遊びに行くのを許さない。折角覚えかけたのに!と満たされぬ思いにうずうずしながら身内に押し切られて別府の老人ホームへ。ここ別府は A.P.U と言う大学があり留学生が大勢学んでいるので町には異国の若者が溢れている。時々駅でうろついているのを捕まえては<学生さん?><お国は何処?><別府にきてどのくらい?>相手が喜んでべらべら喋りだしたら
<あ!バスが来た>と逃げる。先日の事、歯医者の帰り、湯布院行きの長い列の後についていると、案内係のおじさんが杖をついている私を目敏く見つけ列の先頭に入れてくれました。。今まで先頭に並んでいた若いカップルにお礼を言うと返ってきた返事が異国語。バスを待つ間のお勉強とばかり、<お国は何処?学生さん?何処に行くの?>の3パターン。マカオから来た社会人でこれから湯布院の観光に行く所だという事まではわかった。その内年を聞いたので94歳と答えると2人同時にのけぞって、写真を撮っても良いかと聞くのでOK。曾孫に近い女の子と並んでピースサイン。思いもかけず若く見られて、足取りも軽く帰途に付いたというお話。

思い付くまま

某日、リハビリを受けに行く為バス停で待っていました。歳の所為か(93歳)立っているのが段々苦になりはじめたので、早目に出かけて誰も居ないベンチに腰を掛け待っていました。その内近くの学校が引けたと見えて小学校低学年の子供達が1クラス分位い集まって来ました子供好きの私は久し振りに聞く子供達のかん高いお喋りの声を楽しんでいました。場所柄から、てっきり、スクールバスを待っているものとばかり思っていたのに、路線バスが着くと同時に乗車口に我先にと殺到し始めました。以前読んだ本に観光に訪れた外国人が先ず驚くのが、落し物が戻ってくる事と行列の割り込みの無い事だと有りましたが、その美徳も過去の伝説に成り果てるのでしょうか。思わず大声で「どきなさい、先に来たものを先に乗せる」と怒鳴ると、まるで聖書の海が割れた様に乗車口まで通路が開けました。何と素直な子供達。ルールを知らないだけで先輩の教えには従う子供なりのモラルがあるようです。高校生達は学園の外の公道の清掃してくれるので通りすがりに「有難う、何時もご苦労様」と声をかけると白い歯をみせて、にっこり「おはようございます」その日は一日中ほのぼのとした良い気分です。
今日私に怒鳴られたチビちゃん達も早くお兄ちゃん達のようになってね。

思い付くまま

継続的に通っているリハビリの為暑い日盛りに乗ったバスが満杯。運転席の後で杖を片手に金棒にしがみ付いて立って居ました。一番前の席の左に荷物を抱えた中年の女性、右に若い男性が座って居ました。暫くすると女性の方が「どうぞ」と席を譲ろうとしましたが目の前の男性は知らん振り。私はどうしてもこの若僧を立たせたい。そこで「直ぐ降りますから結構です」と丁寧に断り頑固に立って居ましたがその内その女性が降りてしまったのでしぶしぶその後に座りました。結局私が降りてもその若者は残って居ました。以前小学生位の男の子に席を譲られ<まだまだ日本も捨てたものじゃない>と思って居ただけにがっかり。
私の持論は義務教育を改め 6.3.3.2 にして最後の2年は自衛隊。男性として国と国民を守るのは俺だとの自覚を身に付けて貰いたいと願っています。戦乱の北鮮から命からがら脱出してから身を守るべき組織を持たない国民の惨めさが身に沁み一時は本気で自衛隊に入る事を考えました。それも遠い夢。93歳の婆が蟷螂の斧を振り回した居るに過ぎません。

讃婆

馴れない集団生活にオタオタしている内に歳月は容赦なく流れ三度目のお盆が巡ってきまし
た。神道の家に育った私は仏事に暗く仏前で拍手を打ちそうになったり冷汗の連続でしたがさすがに三回目ともなるとお盆の行事も余裕を持って参加出来る様になりました。
祭壇が玄関前と今年の物故者の為に集会室と二箇所に設けられ入居者が思い思いにお参りしています。13日は玄関前の祭壇で亡き人の来る道を照らすかのように明々と迎え火を焚き、16日にはどうぞ迷わないようにお帰り下さい。と、それぞれの弔いたい人への思いを胸に送り火を燃やしました。さて15日は亡き人の供養の為か残された者への慰めか賑やかに盆踊りが始まりました。普段ユニホームに身を包んで忙しく走り回っているスタッフが浴衣姿で差す手引く手も艶やかに踊りの輪をつくれば、男性スタッフも負けじと大太鼓で拍子打ち、賑やかに音頭が始まりました。圧巻は孫に車椅子を押して貰っての盆踊り。90近い高齢ながら浴衣をきちんと着こなし帯も結んで踊りの輪の中に入っている姿はさすが船場のイトさん。かくて酷暑をものともせずお盆の行事は無事終了。