鉛筆の思い出


      ここ何十年というもの筆記用具はボールペンが主流で鉛筆を手にする事は殆どありませんが、スケッチでもしょうかと、時折 4B を手にする度に心の奥から浮かび上がる苦い思い出があります。
あれは小学校2年の朝晩は冷気を覚える頃でした。同級生の中にお父さんが弁護士で勉強も運動もよく出来クラスのボス的存在の女の子がいましたが、とかく目立ちたがり屋の私とは余り仲が良くありませんでした。
或る日叔父さんのドイツ土産だと言って皆に鉛筆を見せびらかしていました。国産の様に金具で消しゴムを取り付けたのと違って芯のように軸を削ると消しゴムが現れる仕掛けです。皆珍しがってわいわい言って取り囲んでいましたが私はフト父の製図板の上に同じ様なのが転がっていたのを思い出しました。<ちなみに父は一流の建設会社に勤めていました>下校するなり確かめると有りましたありましたそっくり同じ物が、翌日それをこっそり持ち出して「あんなもん私だって持ってるよ」と親しい友達に自慢していると先の彼女が目を三角にして私の腕を掴むと先生の前に引っ張って行き「この子が私のドイツ製の鉛筆を盗んだ」と訴えました。いくら私が弁明しても「昨日皆に見せたばかりなのに今日見たら無くなってた。あれは叔父さんから貰った大事な鉛筆なんだ」と譲りません。困り果てた先生は「明日の朝ゆっくり話をしましょう。もう下校時間だから」という事で腹立ち紛れに道端の石を蹴飛ばしながら家に帰ったものの親にも言えず眠れぬ一夜を明かし翌朝まだ新しいのが半分以上残っていた鉛筆をケースごと父の机から、それこそ盗み出して学校に持って行きました。何故か気まずそうに顔をそむける彼女を引っ張って又また先生の許へ。流石にグーの音も出ない彼女に向かって先生は「まだ盗まれたと思う?鉛筆に名前は書いてあったの?何処かに置き忘れたんじゃないの?」と言われて渋々「家の机の裏に落ちてた」と蚊の鳴くような声。さあ今度納まらないのは私。組中にドロボーの汚名を広げたんだから全員の前で謝れと掴みかからんばかり。 結局、「分不相応な物を持ってきた貴女も、親の物を黙って持ち出した来た貴女も悪い」と喧嘩両成敗で幕。 以来80余年間 七たび探して人を疑え は私の金科玉条になりました。