勇駒別林道の茸

若かりし頃、かに族を気取って大きなキスリングを肩に半月近く北海道をうろついたことがありました。山登りを始めたばかりで山の楽しさばかりで怖いことを知らず、登頂は無理でもせめて、名だたる山のトレッキングでもと一応の山仕度で出掛けました。なにせ…

 鉛筆の思い出

ここ何十年というもの筆記用具はボールペンが主流で鉛筆を手にする事は殆どありませんが、スケッチでもしょうかと、時折 4B を手にする度に心の奥から浮かび上がる苦い思い出があります。 あれは小学校2年の朝晩は冷気を覚える頃でした。同級生の中にお父…

年寄りにシニアランチを

私も含めて近頃の年寄は外出の機会が増えています。特に私の様に独り暮らしのものは、何かの申請に区役所へ、年金の引き出しだ、図書館だ、歯医者だ、薬局だ、と毎週のように出歩いています。 出歩ける元気があるだけ幸せだとは思っていますが、問題はそれが…

気まま婆の言い訳

滞米の日記の整理が未完成なのとアメリカ話に少々食傷しましたので暫く<婆のくりごと>を書きます パソコンは人類の英知?悪魔? 80歳の誕生日を機にぼけ防止にもと始めたパソコン。一年間に三箇所を経巡る生活なので正規の講習も受けられず独習書とサポ…

オークの木陰のレッスン

何かの記念日らしく3日間お休みが続いた折Dの家族と共に泊りがけでデズニーランドに出掛けました。その帰途我が家まで40分と言う所でいきなり道端の公園に乗り入れると、何処やらに電話を掛けていました。長時間のドライブに退屈しきっていた子供達は遊具…

サンキューケーキ

配置転換になったドライバーにサンキューケーキ遅すぎた恨みはあるけど度々登場する人物を一々解説するのも煩わしいので説明と略名をつけておきます。 D(ドーター)日系三世 M(マザー) 日系二世 共に私の親友 ふと台所を覗くとDが円形の大きなケーキを前に…

感謝祭の大売出し

ある晩友人の娘夫婦が「さあー明日は一年で一度の大売り出しの日だから買いに行くぞ」とおお張り切り。「勿論貴女も行くはねぇ」応さ、行かいでか。とばかり出発予定を聞くと「開店は午前3時だけど一寸早過ぎるから7時頃から出掛けようか」えぇぇつ、夜中…

ハロウインの銀行

トラベラーズチエックを現金化する必要に迫られ友人に伴はれて銀行に出かけました。パンクオブアメリカよりはローカルな銀行のようです。 入り口のドアを開けるなり ぎょ、ぎょ、ぎょ!! 天井からは真綿を引き伸ばした様な蜘蛛の巣状のものが一面に垂れ下が…

ハロウインと子供達

滞在中に一年で一番子供達が楽しみにしているハロウインに出くわしました。そういえば大分前から街中のあちこちに大きなお化けかぼちゃがごろごろしているし遊園地に行けば目鼻を付けた巨大なかぼちゃが塔の上に乗っかっているし、初めての経験なので農業祭…

アメリカの年寄り

アメリカ礼賛と取られると心外だけど、滞米中は自分が年寄りだと言う自覚は殆どありませんでした。入国時 ツーオールド と言って写真も指紋も撮って呉れなかった事を除いて。 友人は日系二世、其の娘は三世で夫はインド人。足繁く出入りするのはアジア人と白…

コックさんに拍手

シティーオーケストラの一員である友人の娘が或る日突然言い出した。『近々各パートのトップだけで持ち寄りパーティーをすることになった。貴女の来ていることは皆知っていて、楽しみにしているのでよろしく』と言われて、はたと思い当たった。以前お正月に…

田舎の酒場

知人がバーを開業したというので一夕覗きにゆきました。造りは正面に酒壜をずらりと並べ前に年若い女のバーテンダーが陣取り、壁際にカウンターとジュークボックス。中央に撞球台が2台。壁や天井はコンクリートの上にわざわざ錆びたトタンや古材を貼り付け…

有り難い公共の交通機関

カリフォルニア一州でも日本全土がすっぽり納まると言う広大な地域に存在する地方都市サンルイスオピスポ、大学が2校、米軍のキャンプ、飛行場、まであるというのに住民の足となる電車、バス、タクシー、を一度も見かけたことがありません。移動手段?勿論…

勤勉な国民

昔、日本人は勤勉な国民だと言われていた何時も思うのですがアメリカ人は男女共に実に良く働きます。日本なら朝の修羅場である筈の午前8時にのんびりと、その日の買い物の相談電話。思わず「こんな時間に電話して迷惑じゃないの?」と聞くと「なに言ってるの…

牧鶏犬ソーシー

サンフランシスコとロスアンゼルスの丁度中間に位置する漁師町モロベイに居を構える友人は家の周りだけで4エーカー

交通信号

車で20分ぐらいの所に食料品専門のグロッサリーがあります。此方では食品には消費税が掛からないので計算を簡略にする為か、日本のように食品もあります、紙おむつもあります、電化製品もあります、式のスーパーは少いようです。田舎といえども運転出来る家…

要らない物がさっさ売れる

未だ暑さに喘いでいた9月初旬、訪れたアメリカ西海岸の何と寒いこと。 過去何度も訪れているので様子は良く判っているつもりでして来た支度は役に立たずかなり太めの私はご主人のジャケットを借りて震えていました。荷解きも済んで少し落ち着いた頃「もうじ…

訴訟社会人予備軍

子供の話をもうひとつ。町を歩いていた友人がふと見ると小学3〜4年の男の子が自転車にまたがったまま、警官と何やら喋っていました。 何を注意されているのかと、通り掛かりに耳を傾けると何と「私は弁護士を呼ぶ必要があるでしょうか?」と言っていたそうで…

アメリカの小学生

何年か前からゆとり教育とやらで公立の学校が週休2日になっています。 小学生の間は学問より社会人として生きてゆく為の躾けと基礎体力を付けることのほうが大事だと考えます。私の小学生時代を振り返って見ても「ただいま」と、言うなり玄関にランドセルを…

年寄は半人前か?

92歳になる日系二世の友人からの再々の誘いに意を決してアメリカに向かいました。 無事サンフランシスコに着いて入国査証を受ける為に長い列の後ろに付いて眺めていると一人ひとり写真と指紋を取られていました。いくら年寄りでも指名手配犯の顔写真の様に写…

日本語は縦書きを

私の学んだ女学校は毎週日記の提出が課せられていたのですが、怠け者にとってはかなりの重圧で、いやいや時間割を確かめながら一週間の溜め書は当たり前。それもさぼって度々職員室でお目玉を食っていました。それが5年間続くと恐ろしいもので、歯磨きと同…

片鬢、片眉毛

母方の祖母は万延元年一月生まれ。末っ子である母を気遣ってか四六時中家に来て、私にとっては歴史上の出来事としか思えない様な話をいくつも語ってくれました。これもその内の一つです。≪おばあちゃんの子供の頃はなー大雨で土手が崩れたりすると役人が、大…

祖母の山小屋で逢った鉱夫

昭和30年前半の初秋の頃だったと思います。「祖母山に行かないか」との声が掛かりました。2ヶ月程前、従兄弟に連れられて生まれて初めて遠足の山登りでない本式の登山を始めたばかりなのにたった一度で山の魅力の虜になり寝ても覚めても山、やま、ヤマ、の状…

私の故郷

「おくには?」と聞かれてパット頭に浮かぶのは何年かに一度先祖祭りの為に訪れる北九州でもなければ戦後60余年を過ごした関西でもない。薄絹を張ったように澄み切った青空、藁葺きの屋根に干された真っ赤な唐辛子。それはソウル。今までの長い人生に比べれ…

叱るばかりが能ではない

非常事態が起きた時咄嗟の判断が生死を分けることも有り得ます。例えば子供に「池や川のそばで遊んではいけませんよ」と常日頃厳しく言い聞かせていたとしましょう。 そこは子供親に内緒で友達と連れ立って魚をすくいに行ってその内の一人が川に落ちて溺れか…

気になる日本語

近頃テレビを見る度に気になっている言葉があります。それは あげる 最高の教育を受け数々の難関を突破してきたであろう知識人のアナウンサーでさえ当然のように使っています。我々の世代の慣例からすれば あげる は自分がへり下つた相手に使う言葉として用…

米寿のバックパッカー

小学校〜女学校と同じ学び舎で過ごしたボケ残り3人、何時お迎えが来 るか判らぬ身なればせめて生ある内に楽しかった昔話でもしてあの世と やらでの思い出のよすがにしようと、某日温泉に入りながら富士山が見 られるとのうたい文句に引かれて河口湖で暫くの…

127865958*[北鮮を追われて}あとがき

この手記を書き初めて間もなくふと思い出したのは超記録魔であった父があの命を賭けた脱出時、暗くなるまで隠れていた墓の陰や山の中の民家の暗い灯りのもとで、せっせと鉛筆を走らせていた姿です。 若しかしたらと家中を探し回ったら有りました!!! 32…

{北鮮を追われて}其の十一

此処まで来ればもう安心。返って裏道をこそこそ歩いて不審者と思われて発砲でもされたらと大通りに出たものの時々道端で遊んでいる子供達に≪イルボンサラミ イルボンサラミ≫と囃し立てられながら、顔を隠すように足元ばかりを見詰めて歩いている鼻先にいきな…

北鮮を追われて   其の十

一夜を温かい人の情けにどっぷりと浸かって過ごしたあくる朝救い主の青年に送られて再び昨日の驛に戻りました。昨日と違って見送り人でごったがえしているのを幸いに人込みに紛れて無事車中の人となることが出来ました。尤も改札口を抜ける時駅員がちらと顔…